道を踏み外してしまうと その1
岐阜県の美濃地方にある神仏習合(?)が色濃く残る寺院を訪れた時に気付いたことがありました。
それは本堂にお参りした時のことです。
本堂の中は蛍光灯があってもとても暗く、奥にある本尊の辺りは全く見えませんでした。霊能者やスピリチュアルカウンセラーが聖地と崇める場所ですが、この光景を考えると、とても手を合わす気持ちにはなれません。
ふと顔を上げると、天井にある柱の部分い遺影(?)が飾ってありました。人が写っている写真です。
参拝者が本堂に手を合わせているつもりでも、知らない内に遺影(?)にも手を合わせていることになります。思わずあり得ない事だと思いました。
一般のお寺さんや家庭の仏間を思い浮かべた時に、どこに掛けてあるかを考えれば理解できると思います。
とても不思議な光景というより、違和感を覚えました。
しかし、神仏習合といっても、従来の仏教と神道ではなく、仏教と新宗教です。表の顔は仏教、裏の顔は近くの山の山岳宗教。境内を見れば、どちらが占めているかは一目瞭然です。
そんなことをしても何も不思議ではありません。その周囲も同様です。