奈良・三輪山 その4
5度目の三輪山の参拝のことです。
三輪山というより、山を歩いて行くこと自体が人生そのものなのかと考えながら歩いていました。
山頂を目指すことしか目が向いていなければ、目の前に映し出されている風景が1つも見えてこない。歩いている道の状況。先日、雨が降ってぬかるんでいても、歩き辛いなぐらいしか思っていないかもしれません。
1つの石、1つの草、1本の木、1枚の葉が必ずどこかで目に留まっているのに、それすら気にすることもなく、ただ単に目に映っているだけ。
なだらかな道、石がゴロゴロした道、丸太を利用した道、川の側を通る道、急な傾斜な道、だんだん空が開けてくる道。
それぞれ、その時の道があります。色んな姿を見せてくれます。
山頂に立てば、上を見上げると空が見えます。それを気に留めることもなく、磐座を目指す人々の姿。自分の足元しか見ていない姿。祠を拝み、更に上にある磐座を目指す姿。
歩いている時の人の心。目に映る風景が人生そのものを山が語りかけている。山を登る人の心の在り方。山は人に語りかけている。声なき声で人に山は語りかけている。