「見える」も「見えた」も同じこと その2
「見る」も「見える・見えた」も、どちらも不成仏霊に波調を合わせて見たことには変わりありません。
ここで重要になってくるのが、意識して見たのかそれとも、無意識のうちに見えてしまったのかになります。
意識して見たのは言語道断ですが、無意識のうちに目に入ってしまったのは、憑依されるより憑依される可能性が高くなっていることになります。前者の場合は、双方が意識を合わせてしまっているのですが、後者の場合は、不成仏霊だけが合わせているので、一度ぐらいなら、絶対とは言えませんが、大丈夫かもしれません。よくあることになると、それは問題になります。
何故するとか言うと、姿や気配、音を聴かせることで、人はどうしても目に見えないものに対して気持ちが向かいます。それを繰り返すと、意識とか無意識とか関係なく、本人の目線が次第に目に見えないものに向かってしまいます。人の習性を悪用したものです。
そうなったらどうするのか?五感で判断するのか、言葉で本人の意識を変えるかです。