共通認識
物事にはお互いが理解できるから、分かり合えます。
しかし、認識に違いがあり過ぎると、その溝は埋まりません。
例えば、ある事柄についての意味を知ろうとします。
それが、難しいものであれば、解説書を読むなり、ある程度、理解しようと努めます。
しかし、それに飽きたらず、経典や原典まで辿り着き、その先やその存在の意味まで知ろうとします。
ここまで来てしまうと、一般の人から見たら、究めようとしているのか、研究者なのか、マニアなのかと認識します。
ここまで尽きつめると、それは狭く、そして深くを意味します。
本人は至って普通に、広く、そして浅いと考えています。
これでは、話し合っても、お互いが一方通行のままです。